稽留流産と診断されるまで

結果からいうと、2回目の妊娠は約6週で成長が止まり、約12週でお別れしました。

 

兄弟3歳差が絶対良かったっていうわけじゃないんだけど、仕事のタイミングも考えると来年の秋ぐらいに産んで春にまた復職できたらキャリア的にもスムーズだろうなって思っていました。

ここでいう来年というのは昨年度の私の思いであり、ほぼその通りに妊娠することはできました。なので順調に成長すれば、今年の秋、あと2、3ヶ月ですね。そろそろお腹も明らかに大きくなってきて、、という時期だったはず。

 

2月

月経予定日の数日後、検査薬の陽性を確認してから最初の診察に行った。

その前後、すでにつわりの症状が出ており、通勤電車で途中下車せざるを得なくなったために、上司には先に可能性について話を入れておいた。せめて心拍の確認後くらいに連絡したかったような気もしているが、もはや今となっては何が良かったかなんてわからない。

 

揚げ物が食べられなくなり、たまに貧血の症状が出て、それ以外は特に問題なく生活をしていた。仕事は忙しかったけど、体力的な負担があったとは思わない。(精神的なものは少しあった)

 

2回目の診察。妊娠6週。胎嚢の確認はできた。

3回目の診察。妊娠7、8週。胎芽、心拍の確認ができない。その日お医者さんからそんなに悲観的な言葉があったわけではない。「恥ずかしがり屋かも」「のんびりやさんかも」くらいの言葉と、次の診察でも見られなかったら成長できなかった可能性がある、くらいの感じ。まだ、希望は持っていた。

 

3月 前半

学生時代の友達とランチをした。一人は2人目が生まれて数ヶ月、もう一人は1人目が生まれて4月から保育園デビューとのこと。二人の予定に合わせて、有休を利用しての平日ランチだった。まだ希望を持っていた私は、乾杯のシャンパンと生魚を避けたかったので妊娠初期であることを伝えた。あと、暗くなりたくはなかったけど、産めないかもしれないことも言った。

二人とも優しかった。というか心地よかった。暗くなりすぎず、サバサバとしてくれて、思ったように行かなくてもきっと支えてくれるって思えた。

 

4回目の診察。妊娠9週。ここでついに断言される。「稽留流産。妊娠6週目で成長が止まっています。」医者でもない、私でもわかる。胎嚢の形が明らかにいびつになっていた。希望なんて持てなかった。

3月下旬に分娩予定の総合病院での初診予約をしていたので、それまで自然と降りてくるのを待つか、すぐに手術で取り出すかの2択とのこと。自然と出てくる場合は、月経の量が多い時期くらいの出血があるかもとの説明。また、体内に一部でも残ってしまうと結局取り出すことになるらしいが、そのときの手術は軽いとのこと。

 

この日、そう言われるのが恐くて恐くて仕方がなかったのに、夫はゴルフ(仕事の付き合いのため)で家にいなかった。よつばを連れてクリニックに行っても、よつばを不安にさせるだけだと思ったので実家から母を呼び寄せていた。

呆然として帰宅。涙が止まらなかった。母がいてくれたことで気持ちを吐き出す相手ができてよかった反面、「残念だったね」「ママかわいそうなんだよ」って言われてすごく違和感があった。

 

残念ってなんだろう。

私はかわいそうなんだろうか?

 

…じゃあなんて声かけたらいいんだって思いますよね。周りの人からしたら。わかりません。でも、少なくとも、ランチのときの友達からは違和感のある言葉は一回も聞いてない。上司からも聞いていない。

 

翌日、私は中学時代の親友の結婚式にお呼ばれしていた。目は腫れていたが、笑顔で行かなければならなかった。

もう食べるものも飲むものも制限しない。私はおめでたい席で、友達をお祝いするのだ。

披露宴のテーブルでは自然とそういう話にもなるが(子持ちもいれば独身もいるグループ)、何も言わずに切り抜けた。

 

そして自然と降りるのを待つことにした。